声に出したい日本語

たとえば、いのおけい

ミュージカル「ハル」を観て、薮くんに惚れた話

 

ご無沙汰しております。

このブログは”まるでジャニーズに縁のなかった私がずぶずぶ沼に落ちるまで”を記録することを目的として開設したのですが、早いもので私がHey!Say!JUMPを好きになってから3年目の春を迎えました。

 

でもまだ新たな衝撃や、どうしよう好きかもしれない…という”落ちた感覚”みたいなのってあるんですね。ありました。

 

ミュージカル「ハル」を観て、完全に薮くんに落ちました。

 

いや、そもそも、そのちょっと前から薮くんたまらないな…というトキメキを感じていましたし、なんなら浮気性な私は今年に入ってからジュニアに推しが増えてたりと好きな男が増えすぎでは?という現象に陥っているので説得力とか皆無なんですけど…

HiHi Jets作間龍斗くんが最高なブログもはやく書きたいな)

 

 

でもこれだけはわかる!

 

薮くんは、ミュージカルにめちゃくちゃ向いている。

 

そういうわけで、本投稿は前回出演したミュージカルのことも何もしらない薮くん初心者伊野尾担によるハル感想ブログです。

 

まだ公演が残る中ですが、ネタバレを含みますのでご了承ください。

 

主に作品の内容と、薮くんの演技と歌についての解釈のお話をしますが長くなります。

 

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桜の季節でよかったな。

 

まず、作品について。

 

ハルという作品については公式を参考程度に以下をご覧ください。

www.ktv.jp

 

ストーリーについて私の解釈を含みざっくりご説明いたしますと、ハルとその周りの人々がこの時代を生きる意味を問いていく、というかんじなのですが、備忘録としてっも以下に問いかけられたテーマをまとめておきます。

 

・心臓移植を受けた少年ハルは、”自分はこの心臓をもらうに相応しかったのか”という自問自答

・それを受けた周囲の友人たちの受け止め方や、親子関係

・人口減少、バブルの崩壊、震災といった時代の変遷によって活気を失ってしまった地域をどのように魅力化していくのか

・閉鎖的なコミュニティのなかで必ずしも自分らしく生きることが正しいとされない風潮に苦しむ住民の葛藤

 

まあざっくり言えばハルはなんのために生きてるの?って、周りからも言われる。自分にもわからない。でもそれってハルだけの問題じゃないよね、社会全体で投げかけるべき問いだよね。というかんじでした。

 

そこでこの作品として一つの答えのように提示されているのがボクシングや流星に象徴される一対一の本気のぶつかり合いで、衝突を避けて穏便にやりすごすだけなんて虚しい、本気でぶつかってみてもいいじゃないか、というテーマに終着していきます。

 

この小さな街のなかで薮くんが演じるハルという少年は、ある意味素直すぎて不器用すぎる。周囲の人たちが話が進む中で自分に素直になっていくなかで、ハルはずっと素直でした。

 

心臓移植を受けたことで一度自分は死んだ、今生きているのは本当は心臓の方で自分じゃないのではないか?と思ってはいるけれど、母親からの「心臓さえあればなんでもできる。全て元どおりになる」という言葉に呪われて自分を偽って生活している。でも、本当は誰かと衝突することもなく一人ぼっちでいることがすごく寂しくて虚しいことだと知っている。

 

 

私は、薮くんってとても自分のことも、周りのこともよくわかっているけれど、わかっていることを少し隠して相手が気張らないように配慮できる人だなと思ってます。

いわゆる”頭のいい人”らしい素ぶりというか、本当に賢い人ってとても難しいことを簡単なことばで表現できる人だと思うのだけど、薮くんってそういう人。

ハルは本当はわかっていることを、周囲による抑制とか気遣い癖のせいで解放できないでいたんじゃないかなと思ったりして、薮くんもそんな葛藤をもしかして乗り越えてきたのかな、なんて思ってしまった。

 

なんなら、ハルで描かれる登場人物たちの葛藤は誰しもが触れるようなものだった。

遠い存在であるアイドルの薮くんが、自分や周囲の人の経験を汲み取ってハルを解釈して演じたのだと思うと、おなじ現代社会のなかでいきている29歳の青年なんだなって実感してしまって…なんていうかしんどいです。

 

 

それからね、真由に引きずられるようにボクシングと出会うことで、本気でぶつかりあうことの大切さに気づき、いい表情ができるようになっていくわけなんですが、ハルと真由が打ち解けていくシーンで真由が「自分では嫌いかもしれないけど不器用さんも悪くないかも」って歌ってるんですよね。

 

え、オタクの代弁かな?

という気持ちになってしまったよ。ハルくんも、薮くんも、愛しいよ。

 

 

ハルという不器用だけどまっすぐ素直に生きているキャラクターが、薮くんと重なるところ、違うところすべて愛しくて、背景となっている街も社会も厳しいものなんだけど、なんだか勇気がもらえたり、それでも生きていかないといけない明日からの生活もなんだか悪くないかも、と思えたりしました。

 

 

そしてこれは完全に個人的趣向による解釈ですが、文化事業による地域復興という舞台のなかで、芸術文化寄りの施設(パラレルワールド)建設の破綻をスポーツ(街のオリンピック)という次のアイディアで立て直そう!って文化芸術のど真ん中である舞台芸術で言い切っちゃうのすげーなって思いましたね。パラレルワールドの企画に平田オリザ携わったっしょ?みたいな。

箱モノをつくるだけの企画が運営することもできず破綻し、お金なんてかけないであるものでやりましょう、と気持ちだけ持ち寄って実行したスポーツ大会に切り替えるって、そういうアイディアで街を盛り上げている地域は日本中にあると思うしなんだかリアルさを増していて、ぐっときましたね…

でも舞台芸術もいいよ。あの街に円形劇場ができていたらどうなっていただろうか。街の劇場があるからこうやって素晴らしい舞台を楽しめるんだと思うし、文化度って結構大事だよね。。。

 

あと印象的だったのはゴミのシーン。ハルが友人関係のなかで「ハルは心臓をもらうのに相応しかったのか」と生きる意味を肯定しあえない関係となったときに、パラレルワールドに不法投棄されたゴミが「お前らいらなくなったら捨てるのか?お前だってそうやって捨てられるぞ」みたいな歌とダンスをもって結構大事なメッセージが投げかけられるシーン。

でも恐ろしい光景をみたハルの友人たちは「昔のことだし知らないよね」「はやく綺麗にしてほしい」「ショッピングセンターになるんだろ?便利になるな」と問題を直視しない。それに対してハルが「本当にそれでいいの?」って問いかけていくわけなんですが、この作品が伝えたかったことのなかでも結構大事なところだったんじゃないかな、これ。

インパクトのある演出でメッセージが薄まってしまったようにも感じたけど、ここのシーン以外でもめちゃくちゃ重たいメッセージが詰め込まれてる作品だった。

 

総合してこの街に登場する人たちのなかには「絶対正しいこと」を言う人なんていなくて、誰もが少し間違って、自分を守ってたからこそ、なんだかリアリティがあったのかもしれないなと思う。セット一つとっても、セリフや歌詞の一つひとつにも緻密に意味が盛り込まれていて、伝えたいことが山ほどあったんだなあと思ったしなるべくたくさんの意図が拾えていたらいいな、と思いました。

 

 

作品の感想だけでだいぶ長くなってしまったな。

 

 

そしてね、ハルを演じる薮くんなんですが…

 

かっこいい

 

脚が長い顔が小さい声が良いとにかく歌がいい

 

て感じでした。

作品のなかで歌のパートは言葉に出して相手に伝えるには素直すぎてはばかられちゃうような本音、という意味を持っていたように思ったんだけど、薮くんの切なくて力強い歌声から切実な思いがめちゃくちゃ伝わってきて、薮くんはまじでミュージカル向いてる…と思った。

生のオケに薮くんの歌。え、夢…?ソロコン…?という気持ち。

一番最後、ハルが一つの生き方を見つけ出して決意を新たにする曲のところで、「ぶつかりながら ぶつかりながら」って半音あがるやつ、あれ好きですね(わかりづらい)

かっこよくて毎回涙がでた。真ん中で、堂々と歌い上げる薮くん。

 

 

そして、薮くんが…ボクサー?!という気持ちはもちろんすこしあったけど、強いわけじゃなくて、勝ち負けじゃなくて、ボクシングそのものに惚れ込む役としてめちゃくちゃよかった。ちょっと弱そうなのがいい。

でもSENSE or LOVEのツアー中から薮くんの腕の太さを観察していたけど、確実に鍛え上げられていてまじでかっこいい。あと顔が良い。

 

 

そして薮くんのマイクロスリップは回数をこなしていく舞台俳優として最高です。

マイクロスリップ。最近しったんだけど、こうやって動くと目的をもって行った身体動作に誤差がおきてしまうことらしい。

真由にボクシングを指導されるシーンや、バンテージを巻いたり自分でトレーニングするシーンが、数回みただけでもちょっとずつ毎回違う。

上手な俳優ほどマイクロスリップが減って均一な演技になりがちなのだそうですが、机をバン!て叩いたら鉛筆がおちてわたわたしちゃったりとか、なんか顎が出ちゃって真由に「顎引いて!」とかしばかれてたりとか、全然均一じゃなかったです。いい意味で。

アドリブではなくて、マイクロスリップで愛しさが滲み出ちゃう薮くん。最高です。

 

 

薮くんの演技や歌はいつも素晴らしくて、安定していて、でもちょっと愛しい誤作動があって、そのバランスがとてもよかった。もっと薮くんを生の舞台でみたい!と思ったし、北乃きいちゃんの身長が自分とあまり変わらないことを知ってしんどくなったりしました。

 

 

 

アイドルとして、俳優として、薮くんのかっこよさが堪能できる作品でした。

薮くんのこと、すごい好きになっちゃって、日に日に好きになっちゃって困ってます…はやくまた舞台やってください。

あと歌声が最高だったので音源化してください。よろしくお願いします。

 

平成最後の春、ハルに出会えてよかった!!!!!

 

 

 

ミュージックシーンにおけるアイドルソングについて考えた

冬ノ介が愛しくてたまらないみなさんこんばんは。

東京エイリアンブラザーズ最高ですね。

とことんツボを付いてくる演出、セリフ、演技、伊野尾くんの可愛さ引き出されすぎてて正直戸惑ってます。何度も見るには劇薬すぎる。

 

 

ところでHey!Say!JUMPの「COSMIC☆HUMAN」が8月1日にリリースされましたね〜〜!!!

伊野尾くん、初めての主演作品の主題歌担当本当におめでとうございます!!!!

 

 伊野尾くんの、努力家で過去を肯定する強さに惚れてジャニオタになった私なので、今回のハマりまくっている役の演技のお仕事と、そのドラマの主題歌を背負ってる伊野尾くんが本当にかっこよくて好きすぎてたまらないです。

 

さて、そんな伊野尾くんがセンターに立つCOSMIC☆HUMANですが、圭人くんの留学前最後のシングルでもあります。

私は今まで、フジファブリックをはじめとして音楽を生み出す人たちに惚れ込んできたので、Hey!Say!JUMPを好きになるまではアイドルが売り上げの首位にいようがどうでもよく、届く人に届く音楽に意味を見出してきました。

でも、アイドルソングはそうじゃないよなと思うところがあって、今回の新曲は日本のミュージックシーンにおけるアイドルソングについて考える機会となりました。

 

まったくの無学の人間が大きなテーマを語ろうとしているのは重々承知ですがお付き合いください。

 

 

 

音楽の解釈は人によって、時によって、様々です。


アイドルは本人自身が作品だからこそ、本人が紡ぐ言葉、歌とダンス、バラエティー番組での発言の一つひとつ、すべてがアイドルそのものを形成しているからこそ、アイドルにとっての歌とは、音楽とは、何なのかと。

 

長い時間、(わかりやすい例として)グループの後列の端にいた伊野尾くんの主演作品の主題歌、そして歌詞からも感じ取れる圭人くんへの応援のメッセージが込められているCOSMIC☆HUMAN。

 

 
端っこが定位置だった伊野尾くんが、9人の中心に立っている。
ダンスでは、絶対エースと呼ばれる山田涼介の両サイドに、伊野尾くんと圭人くんが立つフォーメーションがある。


そして、こんな歌詞。

胸張ってGo ahead 世界は狭いんだ
果てしない旅じゃない
さあ 一歩一歩 二歩三歩 ありふれた明日へ

・・・

You can be 迷ったってしょうがない
いつだって そう僕らは今を生きている
最短経路が正しいなんて誰が決めたの One more try

 

そんな二人を祝福するようにも感じ取れるし、8人で2年間活動するという新たな”挑戦”をするHey!Say!JUMP自身を肯定しているようにも思える。

 

そしてCOSMIC☆HUMANはめちゃくちゃポップで明るく、そんな重みなど感じさせない、軽やかな曲調が印象的です。

 

アイドルが歌う楽曲の歌詞は、プロが作詞したもので、そのパートを誰が歌っているかというところにどこまで意味があるのかなどわかりません。
しかし、D♭の煌めくキャッチーなメロディーの乗った前向きなことばたちに、感じるものがあるのは事実。

伊野尾くんが努力してきた道のりや、これから自分自身を切り開こうと茨の道を選択した圭人くんを讃え、祝福し、背中を押しているような歌詞と、仲が良いことで知られるHey!Say!JUMPが、9人でいることを誰よりも願う山田涼介がセンターにいるHey!Say!JUMPが、笑顔でこの曲を歌っている姿に、その関係性や思いまで推測してしまいます。

 

でもこの歌詞は本人たちの言葉ではないのも事実。しかし彼らが歌うからこそ新たな挑戦への後押しのように受け取ることができて背中を押される曲なのも事実。

そこにメッセージ性は確実にあって、音楽としての意味をきちんと持っている。


それはきっと、彼らが生み出したことばでなかろうと、彼らにとって本当のことばだからなのではないかと私は思います。

 

そしてアイドルだから、アイドルという職業が歌うことや踊ること、演技をすることだけのものではないからこそ意味のある歌詞もあるような気がします。

 

「僕らは今を生きている」。ありふれたことばだけど、アイドルというある意味現実味のない、遠い存在である彼らが歌うからこそ意味がある。

アイドルも、同じ時代を悩みもがき、苦しみながらも舞台に立ち、笑顔を見せてくれていて、それに勇気付けられ、元気付けられれる人たちがたくさんいる。

そこに音楽としての価値が大きくある。

 

 

昨年10周年を迎え、岡本が作曲、メンバー全員で作詞をした「H.our time」のなかでは、

 

喜び悲しみ 受け入れていきる
僕たちの夢には 幸せが隠れてる
共に共に 歩んで行こう
愛の在処は ここにあるよ

 

と歌われています。

 

そしてこれは、これまでにリリースされた曲たちの一節。
10年の歴史のなかで彼らが歌い続け、説得力を増してきたことば。

 

私はコンサートで聞いていても、音源を聞いていても、この曲のために彼らが紡いだ意思を持ったことばよりもこの部分が、響きました。やまちゃんが「愛の在処はここにあるよ」と歌い上げれば、本当にそうだなって涙が出る。


”売れているかどうか”と一括りにしてしまえばHey!Say!JUMPは人気で、ファンも多くいて、活動の場を失う心配などなく日々ちやほやされているように見えるかもしれない。
CDの売れない時代に悩むミュージシャンたちの発言に心を痛めていることを思えば、十分に売れている枚数が結果としてあるでしょう。そして、音楽ファンとしてそこに音楽本来の魅力や価値が本当にあるのかなんて、疑ってしまったりもする。

 

しかし彼らの音楽も、同じミュージックシーンの中に確実にあります。アーティストとして作家活動をするあらゆるミュージシャンたちと、全く同じ並行世界にいる。

生き方、思想、言動すべてが”人気”を左右するアイドルの音楽だから、アイドルが歌うから、意味のある音楽がそこにあるのだと。

彼らの生き様やそれらを彩る音楽は、私の人生を支え、応援してくれる。
10代を捧げたロックバンドのそれらと全く同じように。

 

アイドルが歌う音楽は、彼らをプロモーションするためだけのものではなくて、彼ら自身の表現の一部。
プロが書いた偽物のことばを口ばかりで紡いでいるのだろうか、だなんて思っていた自分を恥じています。

 

 

音楽の力は誰かの意思を、優しさを伝えてくれるものです。

私にとっての音楽は、背中を押して、寄り添ってくれるもの。

 

そしてアイドルが歌うから、より多くの人に届く日本のミュージックシーンの中心にあるからこそ華やかな世界。誰にでも伝わる、受け入れられる、美しいストーリーがCOSMIC☆HUMANにはあると思うし、支持されている”数”もそれにふさわしいものだと私は感じます。

ファンだからなのかもしれないけどね。

 


キラキラ輝くアイドルたちの、人間臭く懸命な姿。それらを彩り後押しする華やかで前向きな音楽とことばに込み上げるものがあります。こんなにポップで明るい曲なのに。

 


伊野尾くん、初めての主演ドラマの主題歌おめでとう。
圭人くん、2年間とっても寂しいけど、みんな待ってる。いってらっしゃい。

 

2年後、どんな歌が聞けるのかな。私はどんな気持ちでCOSMIC☆HUMANを聞くだろう。
きっと、もっと、説得力を持ったことばとなって、私たちに届けてくれるはず。

はじめて、推しの主演舞台を観た

 

※6/15修正あり。

 

伊野尾さんの銀髪に目を眩ませているみなさんこんにちは。

トウキョーエイリアンブラザーズクランクアップのお知らせと共に舞い込んで来た、FINE BOYS表紙に、銀髪で媒体に残っていく喜びを噛み締めているのは伊野尾担の総意であると認識しております。

なんであんなに美しいんだろう。めざましテレビや宮城キャンペーン会見で見せた黒髪ウィッグが、更にその儚さを加速させていますね。銀髪は幻にも思えるけれど、本来の姿がそっちだなんて、伊野尾さんのミステリアスな美しさを更に感じさせてきますね。

 

 

さてこの度、高木雄也くんと八乙女光くん主演の舞台「薔薇と白鳥」を観劇してきました。

 

いや〜めっちゃよかったな〜かっこよかった〜〜〜

高木くんがほんっっっとに顔ちっさくて脚ながくてマジでかっこいい。しんどいです。

 

 

 

以下はネタバレをがっっっっつり含む内容を含めた感想・レポになりますのでご了承の上よろしければお付き合いください。

本当に自分のために書くような内容になりますので読みづらかったら申し訳ありません。

 

 

 

6月2日の夜公演、6月7日の昼公演を一度ずつ観劇し、改めて同じ作品でも全く公演によって感じる部分が違うのだということを体験しました。

2日は一般発売分の3階後列の中央、7日は当日券で2階前列の下手端。席によっても全く見え方も違うし、それぞれとても良いお席でした。

 

ちなみに当日券ですが、12時から電話をかけ続けて何度か「ナビイヤルにお繋ぎします」アナウンスをうっかり逃した上で、14時ごろに予約をとることができました。60番台。80番台まで当日券は発行されていた模様。

 

私から言えることがあるとすれば、かければ繋がる。諦めてはいけない。皆平等に機会は設けられている………以上だ。

本当に何度でも観たいと思ったから、当日券頑張ってよかったです。

 

 

 

私自身の話で恐縮ですが、幼少期から教養として舞台を観劇しながら年を重ねてきました。(専門知識は全くございません。)

なので、大好きな二人が舞台作品に出演すること、そして偉大な劇作家ウィリアム・シェイクスピアの話だと聞いたときは本当に嬉しくて!!

 

高木くんと光くんは、きっと舞台映えしそうだから二人が舞台に出るなら絶対良い作品になるよね、と友人と話していた数週間後にこの作品に出演することが発表され、絶対にいかなければ!とすごく嬉しくてもうそればっかりで、観劇できる日を心待ちにしていました。

 

そして、想像通り高木くんと光くんの演技はとても舞台映えする素晴らしいものでした。

 

 

 

この頃舞台を観にいくこともほとんどなく、一つ作品を目の当たりにするとしばらくぼーっと考えてしまう性格上、頭を悩ませるものを減らしたいという部分もあって最近は映画やドラマを含めてストーリーにのめり込まないようにと距離を取っていたのですが、この作品に頭を悩ませる時間が本当に楽しくて、ワクワクして、芸術作品に触れる楽しさを思い出させてもらっています。

 

以下にも書きますが、彼らもシェイクスピアとマーロウを演じるに当たって本当に演劇をする意味や、それが生活の中にある意味に触れたのではないかと思います。

真剣に向き合っている表情を目の当たりにして、より彼らの魅力にも触れた気がします。

 

 

 

また内容については、史実に基づいた作品であればあるこそ事前学習がなければ内容の理解に追われてしまい、演者の表現まで理解が及ばないことは知っていたはずですが、初回は全く事前知識なしで臨みました。が、

 

 

超難しい!!!!!!!!

 

 

エリザベス朝時代の王族や権力者の名前、宗教革命時代のカトリックプロテスタントの力関係、そしてその時代の演劇がどのようなものであったか。

そして、この作品で描かれる中枢となるのは、その時代に劇作家としての礎を築いたウィリアム・シェイクスピアの誕生と、その作家人生に大きく影響を及ぼしたクリストファー・マーロウの生き様。

 

史実とは違った解釈の部分も含まれる脚本だったと思いますが、二人の詩人も史実と創作という作風や時代に翻弄されていたと描かれる脚本自体が、どのような意図を持ったものなのか、考えるほどこの作品で伝えたかった意図がどの部分にあるのか想像できる範囲はどんどん広がります。

 

全くの素人、一人のジャニオタが偉そうなことを言いますが、薔薇と白鳥で描かれていた内容は二人の関係性、時代背景、演劇をするということ、脚本を書くということ、どこに焦点を当てても深く考えさせられる内容で、とても一度の観劇では内容を十分に理解することはできませんでした。

 

きちんと勉強してから観るべきだった、と初めて観劇した後には思いましたが、2度観劇する機会をいただいて改めて考えると、どこかだけに焦点を当てて事前学習をしてしまうとその内容しか頭に入ってこなかったかもしれないな、とも思えるので、フラットな状態でよかったのかもしれないと思います。

 

 

前段は長くなりましたが、以下は印象的なシーンについてです。

 

マーロウとシェイクスピアは「同類」なのか?

 

破天荒で投獄も恐れず、自分の意思を強く持って生きるマーロウと、マーロウの影響を強く受けて自分などなくなってしまったと、その背中を追うことでしか芝居はかけないと嘆くシェイクスピア

金を稼ぐためにと、マーロウに師事し(マーロウはライバルだと否定するが)脚本を書き始めるシェイクスピアは、3年後にはマーロウの席を奪うほどの売れっ子詩人になります。それに対して芝居がかけなくなっていくマーロウ。

 

舞台裏の一室のシーンで、初対面時には椅子に座り話を聞くマーロウと立ったまま話を進めるシェイクスピアが演じられますが、その立場が逆転した後にはシェイクスピアが「お座りください」と伝えてもマーロウは立ったままで話が進んでいき、その立場が前半と後半で全く変わってしまったことが強く描かれています。

 

ただ頑固で怒りっぽいように見えたマーロウは自分自身に苛立った様相に変化し、天真爛漫で無邪気にも見えたシェイクスピアは、言葉数も減り、人との距離を保っているように見えました。おそらく彼らもすごく意識して演技している部分だよなと思いつつ、見事に表現されていると一番に感じた部分でもあります。

 

マーロウは自分とシェイクスピアのことを「ライバル」だと表現します。しかし、後半に立場が逆転した後にシェイクスピアは、「結局あの人たち(劇場の経営でお金を稼ぐヘンズロウやネッド)と同類」だと言う。そこでマーロウに同類という言葉の使い方が違うと指摘されます。

その後二人の関係性を複雑にさせるジョーンによって「同類ね」と告げられ、マーロウの言葉をそのまま返し「それ、言葉の使い方間違ってないですか」と、ついさっき自分でマーロウに告げた言葉と反対の言葉で同類にはとても慣れないと否定する。

 

ここで同類という言葉が強調されるシーンが印象的でした

 

実際は同類なんだと思う。芝居を書くことが本当に好きで、そうやって生きていきたいと願うところだとか、自分の中から湧き出る本当の言葉、セリフ、芝居を生み出す苦しみにもがく人生だとか。(これ、マーロウのすごい好きなセリフ!)

それに二人とも気が付いている。でも、同じ時代の詩人として、それぞれが自分自身を探していて、認められない部分があるのも痛いほどわかる。

 

でも最後、マーロウは自分の人生を犠牲にして、シェイクスピアが詩人として生きていくことを後押しして死んでしまうんだよ。

なんで死ななくちゃいけなかったんだろう。エドワード二世の人生に重なっていくマーロウ。

 

マーロウを殺したフライザーに「人の命を何だと思っている」と怒声を上げてバーリー卿暗殺を目的としたローズ座の爆破計画を阻止しようとしていたマーロウが、自分一人の命と引き換えに観客や、シェイクスピアを救ったのはなぜか。

 

そこに思いを馳せていると、やっぱり同類なんかじゃないと思う部分もある。

マーロウは、シェイクスピアの劇作家としての人生を自分のすべてを投げ打ってまで支えたし、シェイクスピアは文字通り一生をかけてマーロウとの約束に命を捧げて芝居を書いたんだろうから。

お互いのないものを補って芝居を書くことやエリザベス朝時代の演劇を生み出した者同しなのであれば、全く違うものを持った二人だからこそ成し遂げられたことなのだと思う。

 

お互いにとって、お互いがどんな存在だったのだろうと、考えてもこたえは出ませんが、その儚く美しい関係性に涙が出ます。

 

2日には確認できませんでしたが、本日目の前できちんと確認できたシーンですが、最後の二人のシーンでマーロウがシェイクスピアの死刑を引き止めてバーリー卿暗殺計画を阻止し、一生芝居をかけと伝えて去っていくところで、高木くんがぼろぼろに涙を流して体を震わせていたのが脳裏に焼き付きます。

その最後のシーンのあと、カーテンコールでも目を抑える高木くんの腰を光くんが抱きながらお辞儀をしていて、この二人だから演じられる最後のシーンでもあったのだろうなとまた目頭が熱くなりました。

 

 

自分自身の人生にさえもシナリオを描いて、そこからそれてしまうことにもどかしさを感じているようにまっすぐ生きていくマーロウと、そんなマーロウの人生を追っていくシェイクスピア

セリフ量も多く、一人芝居もあり、濃い内容を表現するのはとても難しかったんじゃないかと思う。

 

 

正直、ジャニーズ出演の作品ってどんな感じなの?と思っていた観劇前の自分が申し訳ないです。

観劇中、二人のことを大好きなHey!Say!JUMPの高木くんと光くんだと思うことはできなくて、シェイクスピアとマーロウとして没頭することができました。

 

それにしても光くん演じる酔っ払って安心しきって眠ってしまうマーロウが口をむにゃっとしているところとか、柵に添えた手の美しさにはドキドキしたり、捌ける時にスキップしてにこにこしている高木くんにギャーーかわいい!!!!とじたばたしたくなったりはしましたけど。

 

そしてカーテンコールの最後、偽金をかじってはにかむ光くんとか、手をひらひら降って去っていく高木くんに、今のは完全にアイドル!!どこに隠していたのそのオーラ!!!とか思ったりしましたけど。

 

でもやっぱりジャニーズってすげ〜。なんでもやれちゃうんだ。舞台俳優として普通にかっこよくて最高だ。ってめっちゃ思いましたね…まじでかっこよすぎてため息だよ…好き………

 

 

先日、光くんが思うように演技をすることができなかった悔しさをひかぺ(ジャニーズウェブ内ブログ)に書き、その直後に高木くんが舞台超楽しい〜!と投稿したことでざわっとしたことがありましたが、それさえもシェイクスピアとマーロウの関係性のようで、実際の二人の関係性さえ垣間見れた気がします。

真面目で自分に厳しい光くんと、気遣いの人である高木くんの、お互いやそれを観に来てくれた人たちへの振る舞いがあの投稿だったんだろうな。

ライバルでありながら、お互いの無いものを補い合っている関係がそこにあるのだと思う。

 

きっと、高木くんと光くんも同類なのだろうな。

 

 

二人にとって、シェイクスピアやマーロウを演じたことが自信となり、また舞台に立ちたい、演じたいと思えるようなものでありますように願ってやみません。

二人の繊細な心を思って切なくなりますが、楽しみながら千秋楽までカンパニーのみなさまが心身ともに健康でありますように。

 

 

まだまだ書きたいことも考えたいこともたくさんありますがひとまずここで。

素晴らしい作品に出会えたこと、二人の最高の演技を目撃できたこと、本当に嬉しいです。

長文を読んでいただきありがとうございました。

よいこの日、はじめてのオタク誕生日会

 

新生活ですね。伊野尾くんと高木くんのディズニーツーショット写真に胸騒ぎが止まらないみなさん、お元気ですか。

 

私は全然ダメです。あんなのデートです。有岡くんと知念くんもいたはずなのに、あんなのおかしいよ。だって距離感が違いすぎるもん。伊野尾くんの、ころころと変わる表情に一つひとつ心が惑わされる日々ですが、高木くんの隣でお花撒き散らしてにこにこしている伊野尾くん、本当に愛の在処がここにあるんだなとしか認識できませんでした。

 

 

さて、先日

4月15日は有岡大貴(27)のお誕生日でしたね〜〜〜!!!!!!

 

ヨッ、よいこの日!

 

有岡くんおめでとう!!!!!!

年上組のBESTと、年下組のセブンのちょうど年齢的にも真ん中の立場で、大所帯のJUMPを繋いでいたのは紛れもなく有岡くんだったんだろうな、と、兄貴肌で面倒見のよいところと、人懐こくて愛される姿をみていて、JUMPにとっての存在の大きさを日々感じております。

 

 

なんたって、伊野尾くんがあんなにだる絡みをしにいってもにこにこ笑ってこたえてくれる有岡くんがいい人じゃないわけなくない?!?!?!?!(誰)

 

 

いや〜、いのありは最近歴史的事件を起こしすぎてますね。

 

ドーム元旦オーラス公演では、MCを二人だけの世界にしてぐだぐだと喧嘩芸を繰り広げ、その数分後には仲良さそうに二人でおしゃべりしてましたね。

ドームツアー後のらじらー!サタデー*1で明かされた、上裸になる演出が恥ずかしかった伊野尾くんの脇毛を有岡くんが美容師ばりに手際よくカットしてくれたことを嬉しそうに伊野尾くんが話していましたね。

その後もJhonny's webでのJUMP連載で、伊野尾くんが1ヶ月半に渡って気が狂ったかのように(いやあれは狂ってた)メンヘラ彼氏ごっこを始めたと思えば、最終的に自分で監禁されたかのように演出しながら、犯人を暗号化した上で有岡くんだと明かしたり、監禁される伊野尾くんに絡みにいくような投稿を有岡くんがしたり、二人の悪ふざけはとどまるところを知りません。

 

 

だめだ、いのありが尊い話で記事が終わる。

 

 

 

さて、話は変わりますが、ジャニオタになって早一年、私にもJUMP担仲間ができました。

その某有岡担氏とは、お互い自担じゃないはずの高木くんにずぶずぶハマる日々。

でも、彼女にとってやっぱり自担の誕生日って特別で。もちろん、私にとっても有岡くんの誕生日は特別な日でした。

 

そんなわけで、はじめてのオタク誕生日会をやりました〜〜〜〜!!!!!

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なんだそれって話ですね。

 

 

 

いや、私だって、思ってなかったよ。

 

ケーキのプレートを注文するときに「HappyBirthday! Yuya and Daiki」って書いたメモを店員さんに渡し、「あれ、もう一人きますか?」と聞かれるなんて。

「あ…いや、ここにいないアイドルの名前なんですけど。」っていうのがこんなに虚しいだなんて。

 

紛れもなく「ここにいないアイドル」を祝うために、ケーキのプレートを注文し、ここにいないアイドルを祝うということにかこつけて、おしいいケーキを食べようとしていたのは私たちなのだから。当たり前だ。

 

 

 

そして、私ははじめて知ったよ。

 

こんなに大好きなアイドルのお祝いをして、ひたすら大好きなアイドルの魅力を語り合って、大好きなアイドルの幸せを願えることが特別なことだなんて!!!!!!!

 

いや〜本当に楽しかったんです。というわけでオタクがよく開催している自担の誕生日会の何が良いのかって話です。今日の本題はそれです。いのありの話じゃないです。

 

  

 

 

① とにかく生まれてきてくれたことに感謝できる

 

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仕事が終わって、有岡担の家にいったら、オムライスが二つならんでました。

 

有岡くんの好物ことオムライス。今日は大貴の代わりになって!と言われ一緒に食べるオムライス。お米がめちゃくちゃ詰まっていてボリュームが半端なかったので、米何合炊いたんだよ!とつい難癖をつけてしまいました。許して。有岡くんに言われたら許すでしょ。

 

 

ファンは、所詮ファンだからどんなに好きでも直接おめでとうって言ってあげられないし、お祝いだってしてあげられないけど、本当に有岡くんに救われている彼女にとって、なにかしたい!という気持ちが抑えきれないのもわかる。

アイドルを応援していて常々感じることですが、好きな人がアイドルとして人前に立ってくれているのってどんなに幸せなことなんだろうと思わずにいられません。

本当に日々感謝してるから、何かしたいんだよ!思いの丈を!行動で示したいんだよ!という気持ちが溢れかえった結果がこのような会なのでしょう。

 

 

有岡くんのこういうところが好きだなぁ、と語りあいつつ、でもきっと悲しいことも辛いこともあるんだろうな、そんなこと感じないで、ただ幸せになってほしいね………と激重オタクに気がついたらなってしまう。記念日ってそういうものだよね。

 

 

 

② 目的をはっきり持って準備するのが楽しい

 

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お気に入りのジュニア時代の大貴に王冠をつけてだいきんぐに仕上げる有岡担。

 

私はあまり華やかな青春を送ってきていない自負があるので、ホームパーティーや女子会などとは程遠い人生を送ってきました。そして、自分がこんな風に祝われたらちょっと恥ずかしいだろうな、という身の丈にあってない感もある。

 

そんな私にとっても大好きなアイドルのために労力を費やし、飾り付けを手伝って、有岡くんの写真をたくさん壁に貼って、JUMPのDVDを流しながらひたすら有岡くんの話をする時間はひたすら楽しくて、仕事で疲れてるなんて忘れるくらい愛しい時間でした。自担のためなら、行動力が驚くほど上がる。

 

手持ちの写真を漁りながら、うわ〜〜この大ちゃんめっちゃかわいくない?っていうか!え!この大ちゃんかわいい!!!うそ〜〜〜!私伊野尾くんの写真ばっかりもってる〜〜〜〜!みたいなもう自我すら保てないテンションで好きな自担の写真を並べて、ああ、有岡くんがアイドルでいてくれてよかった、こんなに好きな人がいるって幸せだね…という幸せに浸る。そして好きなところを語り合う。

 

結局、いつだってオタクと会えば好きなアイドルの話しかしないけれど、特別な日だからできる話なんかもあったりして。今日は特別な日だぞ、という思いを込めてお祝いできるのって、本当に嬉しい。

 

 

 

〜総括〜

 

有岡くん、生まれてきてくれてありがとう。アイドルでいてくれてありがとう。

心から尊敬してるからファンでいられるし、愛しい気持ちが止まらなくてお祝いだってしたくなっちゃうよ!

 

ジャニオタは、すぐ好きなアイドルのためならどんなに自己満足でしかなかろうと、思いの丈をどんどん表現したいし、伝えたいし、分かり合える人が欲しい生き物なのかもしれない。

(私がそうなだけかもしれません)

 

 

伊野尾くんのお誕生日まであと2ヶ月!何しようかな〜と今からワクワクしてます。

JUMPを好きになって、日々の楽しみが増えました。

 

*1:伊野尾くんと光くんが毎週土曜日に生放送でお送りしているNHKラジオのレギュラー。

伊野尾さんがプリンを食べていた話

 

お久しぶりです。

伊野尾くんとの315〜恋が終わってしまった世界が悲しくてまだマエヲムケない伊野尾担のみなさんお元気ですか。

伊野尾くんが携帯有料サイトジャニーズウェブにて1ヶ月半かけて行なった壮大なメンヘラ彼氏の脱出ゲームごっこ(結局のところいのあり芸)の終わりが本当に狂気と可愛さに狂いそうでした。いや、まだ狂ってます。この件については消化出来次第記事にしたいです。

 

この1ヶ月半のことを忘れたくない…慧くん、別れるなんて言わないで……と私の中のメンヘラ心が止まりません。

 

 

さて、頭が沸いて脳が溶けたところで、いただきハイジャンプで伊野尾さんが「手を使わずに30秒でプリンを食べることができるか」というオタク歓喜、一般視聴者「???」な企画が脳裏に焼きついて離れません。

 

いただきハイジャンプについては以前も記事にしましたが「一大事解決」のキャッチフレーズの上で、視聴者から投稿されたあらゆる一大事をメンバーが体を張って解決していく番組。スタジオで小ネタを一気に解決する回は不定期開催されますが、不憫でカワイイJUMPちゃんがぎゅっとつまっているので、神回しか生み出されない秀逸企画です。

 

伊野尾さんは以前から「口にマシュマロ何個つめられるか」「ストローで混ぜたプリンを15秒で飲めるか」「コンビニおにぎりは30秒で食べられるか」など、食べ物関連の企画ばかり挑戦してくれます。

普通に食べたらいいのにね。頑張る姿が素敵だよ。ああ、良い話だなぁ………

 

 

 

そこで今回、手を使わずにプリンを食べたわけです。

どういうことだよ。

 

 

下心しか生み出されない企画です。

深夜にこんな記事書いて、あとで読み返して後悔することでしょう。

 

 

 

「能動的30秒の一大事」というタイトルから想起される、東京事変の「能動的三分間」。

 

 

こないだカラオケで友人が歌っていたキラーチューンを聞いて、伊野尾さんに歌ってほしいなと思ったことを思い出す。

 

 

伊野尾さん×椎名林檎東京事変)の親和性、高すぎる。

 

あの甘い声で歌ってほしいよね〜。わかる。

 

 

 

というわけで、私は生まれて初めてiMovieを起動しました。

 

オタクになって初めて知りました、好きなことのためなら、なんにでも挑戦できるんだって…

 

大学時代、どんな大変なことでも好きなら頑張れるだろと指導されるたびに浮かんでいた違和感。ああ、あのときやっていたことって本当に好きなことじゃなかったのかもしれない。

 

 

でも今自信を持って言える。

伊野尾さんの魅力を引き出すためならなんでもやりたい。

 

 

私に頑張る気持ちを思い出させてくれた伊野尾くんありがとう。好きなことなら頑張れるって本当だな。生きた心地がします。

 

(※すべて自己満足)

 

 

 

 

そこで作った動画がこちら!

 

 

ドン

 

 

 

 

 

 ただプリンをかなり下品に食べてるだけなのにこの絵面。画面が持つな。

 

寄る辺ない現し身を使い古して無情……それな……

 

 

 

プリンを手を使わずに食べても美しいのだから伊野尾さんはすごい。

儚げでもありながら、めっちゃ下品に早食いさせられるしすごい。

 

 

そして私はまた新たな遊びを生み出してしまった。

伊野尾さんが好きなだけで毎日が楽しいです。いのぺの更新が当たり前になってしまった体では、もう自分で生み出さないと毎日伊野尾さんと触れ合うことはできないのね。

 

 

 

伊野尾くんとの擬似恋愛も終わってしまって、私は引越しの準備なんかしてて、やけに感傷的になる反動がこのような悪ふざけを生み出してしまったということでなんとか許してください。お願いします。