なにがあったって好きなんだよヘイセイジャンプ
愛だけが全て-What do you want?-のMV、伊野尾さんのビジュアルめちゃくちゃよくないか?という気持ちを抱えてやばい梅雨をなんとか生きています。みなさまいかがおすごしでしょうか。
最近、ヘイセイジャンプ界隈の情勢がヤバイ。
例えるならば、毎週日曜日の礼拝を禁止され、教会というサードプレイス*1を失ったオタクという名のコミュニティが崩壊している。礼拝の禁止がこれまであった鬱憤をも持ち出すほどの意見の対立に繋がり、過激派が暴徒化してる。
具体的に言うと、アリーナツアーの中止と台湾公演の発表が一気に来て困っちゃってるということです。
私はアイドルを応援することに、ただ彼らの出で立ちや活動を愛でることだけではない役割があるのだと2年ほどオタクをやっていて知りました。現場に行く、という楽しみや、そこでしか会えない人とあったり、そのお祭り感を楽しんだり、いろいろあるんだよ。テレビやラジオ、雑誌による直接の供給とはまた違う役割がある。
まさにこれはサードプレイスだなと思うし、私もそれを必要としている。そうでない人ももちろんいる。それはそれぞれの人生だからとやかく言うことではない。
このことについてあらゆる意見や行き場のない気持ちがあらゆる表現で行き交っているなかで、私のオタクスタンスをあらためて考えようと思い立ち筆をとった次第です。
私にとって、アイドルを応援する楽しみを細分化するならば、3つ。
① 顔が良いアイドルにときめき、癒される
② 同じアイドルを応援する人たちと、それを共有する
③ 楽曲、テレビ・ラジオ、雑誌などによる活動を追いかける日常の楽しみ
そしてこれらは、結構人によって重点を置く部分が違ったりするような気がします。金銭的な問題、年齢による行動の制限や感受性などでも変わる。補足を以下に。
① 顔が良いアイドルにときめき、癒される
顔が好きパフォーマンスが好き、という単純なときめき。コンサートをみたり、DVDをみたり、雑誌をみたり、ブログをみたり。その人が好きという疑似恋愛的な気持ち。顔がいいだけで全てが許せる時もある。顔がいいというのは、すごい。愛だけがすべての伊野尾慧、顔がいい。でも案外継続しない即物的なものだったりもする。永遠に顔をみていれば解決するんですけど…
② 同じアイドルを応援する人たちと、それを共有する
先ほども述べたオタクコミュニティです。私はとくにツイッターでのオタク活動をかなり楽しんでいるので結構大事です。一人でかわいいな…と思っていたことを、わかる!かわいい!あ〜〜好き〜わかる?!やばくない?!好き〜!となるのは楽しい。
以前も記事にしたけれど、自担の誕生日会を勝手に開催したり、DVDなどの鑑賞会をしたり、永遠になぜ好きなのか語り合ったり。楽しい。
遠征先でしか会えないオタクと飲むのも楽しいし、趣味の友達って実生活の辛さとかから離れたりできるし。
③ 楽曲、テレビ・ラジオ、雑誌などによる活動を追いかける日常の楽しみ
これはライフワーク。日々の彩り。ああ、今日も自担が元気だ、とか、新しいお仕事が嬉しいとか、高木雄也が夏だと言ったら夏だ、とかそういうのもあります。そしてそれをリアタイしてツイートし分析して楽しんだりとか、たまらない言動に一喜一憂したりする。ここだけで止まっているオタクをお茶の間と言ったりもしますね。
ざっくりとこういったそれぞれの楽しみが日常に平行しているのだけれど、その割合によってかなりアイドルに期待すること、アイドルにしてほしいこと、オタクとしてのスタンスが変わるということはお判りでしょう。
今回の件に関しては、現場という教会での礼拝を重んじているかどうかでかなりスタンスも違うのでしょう。日々メッカの方向に向かって祈るのと、メッカに行けるかどうかは違うわけよ。
そう、人によってスタンスが違う。違うんだよ。
気持ちの強さとかじゃない。環境の要因とか、それぞれのオタクスタイルがある。
それが違うことを今回すごく感じちゃったんですよね。そして不安になったりした。どういう風に応援することが”正しい”のかと考えたりもした。
私が考えすぎなのかもしれないけれど、今抱えている感情すべて、何を言っても誰かを傷つけるのではないかと、”これだからJUMP担は”と言われるのではないかと、怖くなったりした。(これ本当に怖い。内乱?紛争か?)
結論からいえばこれは自由だし誰かが咎めることではない。しかし、人様に迷惑をかけたりどちらが正しいかのような言い草で乏したり、暴言を吐いてはいけない。それに尽きるなと私のなかでは収束しました。
なのでこういう、自分の立ち位置というか意見を言うのも怖いよね。でも感情の整理がしたかったので書きました。
悲しいのは、暴言を吐く人はいなくならないし、正論によって繊細な感情を悪として気づかぬうちに人を傷つけている人もいなくならないことだよ。これは愚痴。すまん。
その上で、私は綺麗な感情だけで成り立つはずがないということを踏まえ、彼らの活動や言動すべてを肯定できなくてもいいんだ、と思うことにした。
自分勝手な感情だって、無理に変えなくてもいいと思う。
大好きなじゃんぷちゃんの発言にだって、全て頷かなくてもいいのではないかと。
具体的に発言してしまうと大好きな彼らの顔に泥を塗ることになってしまうかもしれないこともあるので、分別をきちんとつけることは、自然発生の感情ではなく理性でコントロールできるので頑張る。
みんないろんな思いがある。つらい人も、なんともない人も、慮ろう。内乱しても仕方なすぎる。
I/0アリーナツアー福井公演での伊野尾くんの挨拶を思い出したよ。
「みんなファンになった時期も違うと思うしそれぞれの生活があると思うけど、そのなかで少しでも支えになることができたら嬉しい」というような挨拶。
私にとってすごく支えになってるよ。この数週間、私が応援してていいんだろうかと激ネガティブになったりもしたけど、結局伊野尾くんのことが好きだということだけでも、私にとってすごく支えだ。伊野尾さんはきっといろんな応援の仕方を許容してくれているのだろうな、というだけで私もファンでいていいんだなって思うよ。好きだよ。
あとねやっぱり思うんだよ、多分彼らのビジュアルが最高なことと、パフォーマンスが大好きなこと、思想に共感することが少しでもあれば、頭のなかが顔が良い…だけで埋め尽くされて即ハッピーになる。
伊野尾さんが今日もかわいくて、賢くて最高だ〜〜〜〜〜〜!!!!!
お誕生日まで一週間、どうか伊野尾くんも、ヘイセイジャンプのメンバーみんなも、心穏やかに、できればベッドの真ん中でゆっくり眠れますように。*2