声に出したい日本語

たとえば、いのおけい

はじめて、推しの主演舞台を観た

 

※6/15修正あり。

 

伊野尾さんの銀髪に目を眩ませているみなさんこんにちは。

トウキョーエイリアンブラザーズクランクアップのお知らせと共に舞い込んで来た、FINE BOYS表紙に、銀髪で媒体に残っていく喜びを噛み締めているのは伊野尾担の総意であると認識しております。

なんであんなに美しいんだろう。めざましテレビや宮城キャンペーン会見で見せた黒髪ウィッグが、更にその儚さを加速させていますね。銀髪は幻にも思えるけれど、本来の姿がそっちだなんて、伊野尾さんのミステリアスな美しさを更に感じさせてきますね。

 

 

さてこの度、高木雄也くんと八乙女光くん主演の舞台「薔薇と白鳥」を観劇してきました。

 

いや〜めっちゃよかったな〜かっこよかった〜〜〜

高木くんがほんっっっとに顔ちっさくて脚ながくてマジでかっこいい。しんどいです。

 

 

 

以下はネタバレをがっっっっつり含む内容を含めた感想・レポになりますのでご了承の上よろしければお付き合いください。

本当に自分のために書くような内容になりますので読みづらかったら申し訳ありません。

 

 

 

6月2日の夜公演、6月7日の昼公演を一度ずつ観劇し、改めて同じ作品でも全く公演によって感じる部分が違うのだということを体験しました。

2日は一般発売分の3階後列の中央、7日は当日券で2階前列の下手端。席によっても全く見え方も違うし、それぞれとても良いお席でした。

 

ちなみに当日券ですが、12時から電話をかけ続けて何度か「ナビイヤルにお繋ぎします」アナウンスをうっかり逃した上で、14時ごろに予約をとることができました。60番台。80番台まで当日券は発行されていた模様。

 

私から言えることがあるとすれば、かければ繋がる。諦めてはいけない。皆平等に機会は設けられている………以上だ。

本当に何度でも観たいと思ったから、当日券頑張ってよかったです。

 

 

 

私自身の話で恐縮ですが、幼少期から教養として舞台を観劇しながら年を重ねてきました。(専門知識は全くございません。)

なので、大好きな二人が舞台作品に出演すること、そして偉大な劇作家ウィリアム・シェイクスピアの話だと聞いたときは本当に嬉しくて!!

 

高木くんと光くんは、きっと舞台映えしそうだから二人が舞台に出るなら絶対良い作品になるよね、と友人と話していた数週間後にこの作品に出演することが発表され、絶対にいかなければ!とすごく嬉しくてもうそればっかりで、観劇できる日を心待ちにしていました。

 

そして、想像通り高木くんと光くんの演技はとても舞台映えする素晴らしいものでした。

 

 

 

この頃舞台を観にいくこともほとんどなく、一つ作品を目の当たりにするとしばらくぼーっと考えてしまう性格上、頭を悩ませるものを減らしたいという部分もあって最近は映画やドラマを含めてストーリーにのめり込まないようにと距離を取っていたのですが、この作品に頭を悩ませる時間が本当に楽しくて、ワクワクして、芸術作品に触れる楽しさを思い出させてもらっています。

 

以下にも書きますが、彼らもシェイクスピアとマーロウを演じるに当たって本当に演劇をする意味や、それが生活の中にある意味に触れたのではないかと思います。

真剣に向き合っている表情を目の当たりにして、より彼らの魅力にも触れた気がします。

 

 

 

また内容については、史実に基づいた作品であればあるこそ事前学習がなければ内容の理解に追われてしまい、演者の表現まで理解が及ばないことは知っていたはずですが、初回は全く事前知識なしで臨みました。が、

 

 

超難しい!!!!!!!!

 

 

エリザベス朝時代の王族や権力者の名前、宗教革命時代のカトリックプロテスタントの力関係、そしてその時代の演劇がどのようなものであったか。

そして、この作品で描かれる中枢となるのは、その時代に劇作家としての礎を築いたウィリアム・シェイクスピアの誕生と、その作家人生に大きく影響を及ぼしたクリストファー・マーロウの生き様。

 

史実とは違った解釈の部分も含まれる脚本だったと思いますが、二人の詩人も史実と創作という作風や時代に翻弄されていたと描かれる脚本自体が、どのような意図を持ったものなのか、考えるほどこの作品で伝えたかった意図がどの部分にあるのか想像できる範囲はどんどん広がります。

 

全くの素人、一人のジャニオタが偉そうなことを言いますが、薔薇と白鳥で描かれていた内容は二人の関係性、時代背景、演劇をするということ、脚本を書くということ、どこに焦点を当てても深く考えさせられる内容で、とても一度の観劇では内容を十分に理解することはできませんでした。

 

きちんと勉強してから観るべきだった、と初めて観劇した後には思いましたが、2度観劇する機会をいただいて改めて考えると、どこかだけに焦点を当てて事前学習をしてしまうとその内容しか頭に入ってこなかったかもしれないな、とも思えるので、フラットな状態でよかったのかもしれないと思います。

 

 

前段は長くなりましたが、以下は印象的なシーンについてです。

 

マーロウとシェイクスピアは「同類」なのか?

 

破天荒で投獄も恐れず、自分の意思を強く持って生きるマーロウと、マーロウの影響を強く受けて自分などなくなってしまったと、その背中を追うことでしか芝居はかけないと嘆くシェイクスピア

金を稼ぐためにと、マーロウに師事し(マーロウはライバルだと否定するが)脚本を書き始めるシェイクスピアは、3年後にはマーロウの席を奪うほどの売れっ子詩人になります。それに対して芝居がかけなくなっていくマーロウ。

 

舞台裏の一室のシーンで、初対面時には椅子に座り話を聞くマーロウと立ったまま話を進めるシェイクスピアが演じられますが、その立場が逆転した後にはシェイクスピアが「お座りください」と伝えてもマーロウは立ったままで話が進んでいき、その立場が前半と後半で全く変わってしまったことが強く描かれています。

 

ただ頑固で怒りっぽいように見えたマーロウは自分自身に苛立った様相に変化し、天真爛漫で無邪気にも見えたシェイクスピアは、言葉数も減り、人との距離を保っているように見えました。おそらく彼らもすごく意識して演技している部分だよなと思いつつ、見事に表現されていると一番に感じた部分でもあります。

 

マーロウは自分とシェイクスピアのことを「ライバル」だと表現します。しかし、後半に立場が逆転した後にシェイクスピアは、「結局あの人たち(劇場の経営でお金を稼ぐヘンズロウやネッド)と同類」だと言う。そこでマーロウに同類という言葉の使い方が違うと指摘されます。

その後二人の関係性を複雑にさせるジョーンによって「同類ね」と告げられ、マーロウの言葉をそのまま返し「それ、言葉の使い方間違ってないですか」と、ついさっき自分でマーロウに告げた言葉と反対の言葉で同類にはとても慣れないと否定する。

 

ここで同類という言葉が強調されるシーンが印象的でした

 

実際は同類なんだと思う。芝居を書くことが本当に好きで、そうやって生きていきたいと願うところだとか、自分の中から湧き出る本当の言葉、セリフ、芝居を生み出す苦しみにもがく人生だとか。(これ、マーロウのすごい好きなセリフ!)

それに二人とも気が付いている。でも、同じ時代の詩人として、それぞれが自分自身を探していて、認められない部分があるのも痛いほどわかる。

 

でも最後、マーロウは自分の人生を犠牲にして、シェイクスピアが詩人として生きていくことを後押しして死んでしまうんだよ。

なんで死ななくちゃいけなかったんだろう。エドワード二世の人生に重なっていくマーロウ。

 

マーロウを殺したフライザーに「人の命を何だと思っている」と怒声を上げてバーリー卿暗殺を目的としたローズ座の爆破計画を阻止しようとしていたマーロウが、自分一人の命と引き換えに観客や、シェイクスピアを救ったのはなぜか。

 

そこに思いを馳せていると、やっぱり同類なんかじゃないと思う部分もある。

マーロウは、シェイクスピアの劇作家としての人生を自分のすべてを投げ打ってまで支えたし、シェイクスピアは文字通り一生をかけてマーロウとの約束に命を捧げて芝居を書いたんだろうから。

お互いのないものを補って芝居を書くことやエリザベス朝時代の演劇を生み出した者同しなのであれば、全く違うものを持った二人だからこそ成し遂げられたことなのだと思う。

 

お互いにとって、お互いがどんな存在だったのだろうと、考えてもこたえは出ませんが、その儚く美しい関係性に涙が出ます。

 

2日には確認できませんでしたが、本日目の前できちんと確認できたシーンですが、最後の二人のシーンでマーロウがシェイクスピアの死刑を引き止めてバーリー卿暗殺計画を阻止し、一生芝居をかけと伝えて去っていくところで、高木くんがぼろぼろに涙を流して体を震わせていたのが脳裏に焼き付きます。

その最後のシーンのあと、カーテンコールでも目を抑える高木くんの腰を光くんが抱きながらお辞儀をしていて、この二人だから演じられる最後のシーンでもあったのだろうなとまた目頭が熱くなりました。

 

 

自分自身の人生にさえもシナリオを描いて、そこからそれてしまうことにもどかしさを感じているようにまっすぐ生きていくマーロウと、そんなマーロウの人生を追っていくシェイクスピア

セリフ量も多く、一人芝居もあり、濃い内容を表現するのはとても難しかったんじゃないかと思う。

 

 

正直、ジャニーズ出演の作品ってどんな感じなの?と思っていた観劇前の自分が申し訳ないです。

観劇中、二人のことを大好きなHey!Say!JUMPの高木くんと光くんだと思うことはできなくて、シェイクスピアとマーロウとして没頭することができました。

 

それにしても光くん演じる酔っ払って安心しきって眠ってしまうマーロウが口をむにゃっとしているところとか、柵に添えた手の美しさにはドキドキしたり、捌ける時にスキップしてにこにこしている高木くんにギャーーかわいい!!!!とじたばたしたくなったりはしましたけど。

 

そしてカーテンコールの最後、偽金をかじってはにかむ光くんとか、手をひらひら降って去っていく高木くんに、今のは完全にアイドル!!どこに隠していたのそのオーラ!!!とか思ったりしましたけど。

 

でもやっぱりジャニーズってすげ〜。なんでもやれちゃうんだ。舞台俳優として普通にかっこよくて最高だ。ってめっちゃ思いましたね…まじでかっこよすぎてため息だよ…好き………

 

 

先日、光くんが思うように演技をすることができなかった悔しさをひかぺ(ジャニーズウェブ内ブログ)に書き、その直後に高木くんが舞台超楽しい〜!と投稿したことでざわっとしたことがありましたが、それさえもシェイクスピアとマーロウの関係性のようで、実際の二人の関係性さえ垣間見れた気がします。

真面目で自分に厳しい光くんと、気遣いの人である高木くんの、お互いやそれを観に来てくれた人たちへの振る舞いがあの投稿だったんだろうな。

ライバルでありながら、お互いの無いものを補い合っている関係がそこにあるのだと思う。

 

きっと、高木くんと光くんも同類なのだろうな。

 

 

二人にとって、シェイクスピアやマーロウを演じたことが自信となり、また舞台に立ちたい、演じたいと思えるようなものでありますように願ってやみません。

二人の繊細な心を思って切なくなりますが、楽しみながら千秋楽までカンパニーのみなさまが心身ともに健康でありますように。

 

 

まだまだ書きたいことも考えたいこともたくさんありますがひとまずここで。

素晴らしい作品に出会えたこと、二人の最高の演技を目撃できたこと、本当に嬉しいです。

長文を読んでいただきありがとうございました。